タイ旅行で実際に出会った「スカー」という名のトイレ




タイのトイレは、「ホンナーム」だけではない

タイを旅行するに当たり、最初に覚えたいタイ語は?と尋ねられたら、「ホンナーム」だと答えるでしょう。挨拶で用いる常套句「サワディー」も大切ですが、小用が我慢できないときなどの急場には、「ホンナーム」つまりトイレというタイ語を知っているか否かは切実な問題です。

街の中やショッピングセンターなどで、タイ人に「ホンナーム、ユーティナイ?」と聞くと、親切なタイ人は指をさして、トイレの場所を示してくれます。それが、「スカー」というトイレの言い換え表現を知ってからは、トイレを探すのが楽しくなったものです

バンコク・ドンムアン空港近くの街の食堂で、食後にトイレに行こうと、店で下働きをする女の子に「スカー、ユーティナイ?」と尋ねてみました。すると、女の子は仲間の娘と顔を見合わせ、かわいい笑顔でケタケタと笑うのです。それがかわいくて、面白くて・・・。




タイの田舎のトイレは、家の中にないことも

タイの市場やバスターミナルなどの公共トイレは、ほとんどが有料です。有料といっても一時JRのトイレで高いと不評だったのとは異なり、2バーツか3バーツとわずかばかりの料金で、不平不満を言うタイ人はいません。

バンコクなどの都会はともかく、地方の田舎ではいまでも、家の中にトイレがないこともしばしば。家の庭先などに造られています。昔は日本の農村などでも、トイレが戸外にあることが珍しくありませんでしたから、不思議ではないでしょう。

タイ語でトイレが「ホンナーム」と呼ばれることは前述の通りですが、タイのトイレは水浴び場を兼ねているのが一般的です。「ホン」が部屋「ナーム」は水を意味し、文字通り水場を表わしています。




トイレを済ませれば、スカーとして「気持ちいい!」?

遠い昔の話か、あるいは王族での間の言葉遊びか・・・。タイでトイレを「スカー」と呼び換えていたとかを知ってからは、トイレを利用する際は注意してその表記を気にするようにしたものです。

いわく、「スカー」とは「気持ちいい!」「スッキリ!」との意味合いとか。食堂で女の子がケタケタと笑ったのも頷けますし、なかなかウィット溢れる言い回しです。

確か2年ほど前、北タイの街での出来事でした。トイレを利用しようとすると入り口に冒頭の写真のような表記が目に入りました。タイ語でまさに「スカー」と記されているのを見つけ、思わず写真に収めたものです。今日のタイでは、お目にかかるのは珍しいにちがいありません。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

スクンビットソイ71界隈のコン・イサーン的快楽法




コン・イサーン&タイフリーク・日本人愛用のCDショップ

スクムビット・ソイ71、ソイといっても片側2車線でバスも頻繁に走るバンコクの主要道路のひとつ。この界隈は、イサーンいわゆる東北タイを中心に地方出身者が多く暮らす、バンコクの下町といった風情の街です。

スクムビット通りからソイ71に入ってすぐ、右手の路地を抜けた奥にあるのが、近隣の庶民の台所プラカノン市場です。クロントーイ市場などに比べると小規模ですが、生鮮食料品から衣類や雑貨まで何でも揃います。

そんなプラカノン市場の一角に、コン・イサーン(東北タイ出身者)やタイフリークの日本人ご愛用のCDショップがあります。とくに、コン・イサーンが愛するモーラムやタイの歌謡曲ルークトゥンなどのCDの品揃えが豊富です。

モーラムなどのCDは、大型ショッピングセンターのCDショップではほとんど扱っていません。そのため、チンタラ―・プーラックやドークラック・デゥアンマーラーの新譜を探しに、よく通ったものでした。




ソイ71で出会った初めての(?)本格的コーヒーショップ

しばらく前までは、タイ人の間ではブラックコーヒーを味わう習慣があまりなく、バンコク中心街のショッピングセンター内のコーヒーショップなどで、ブラックコーヒーを楽しめる程度。一般家庭ではインスタントコーヒーを備えていればいいほうで、コーヒー自体好んで飲む習慣がありませんでした。

ソイ71で本格的なコーヒーが味わえる店は、多分ここではないでしょうか。コーヒーショップの名前は、「71 Coffee & More」。ソイ71通りをラームカムヘン方面へ散策に出かけた帰りなど、汗をしずめしばしの休息をとりたいときなど、よく立ち寄ってブラックコーヒーを味わったものです。




クロンタンの掘っ建て小屋風イサーン料理レストラン

2000年を超えてしばらくしたころ、バンコクで歌手が唄うモーラムを聞きたくなったとき、よく通ったのがタワンデーンかイサーンラムシン2です。

タワンデーンはいまではタイの主要地方都市の多くに進出する全国チェーンレストランで、モーラムとイサーン料理が楽しめることで有名です。いっぽう、イサーンラムシン2はソイ71の突き当りのクロンタンという地区にある(あった)小ぶりのレストランです。

店は掘っ建て小屋風で、普通の日本人なら入るのに多少勇気がいるといった雰囲気でした。ステージでモーラムを唄う歌手もどちらかというと素人っぽく、かえって親しみが持てたのかも知れません。

しばらく間をおいてその店を訪れたとき、隣で火事があり店の一部に延焼したあとが残っていました。店の壁も一部が壊れていて、まだ焦げ臭いにおいも漂っています。

そんな店ですが、客もそれほど気にする風でもなく、モーラムを楽しんでいます。これがタイなのでしょう。粗野でマイペンライなところが、日本では味わえない空気なのです。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

コンケンのタイ式ホテル、ロツコンホテルと近隣の楽しみ




ロツコンホテルは、バンコクでは出会えないシックなホテル

タイの地方都市を訪れた際には、バンコクのどこにでもあるような洋風ホテルではなく、一度タイ式のホテル、つまりローンレーム・バートタイに泊まりたいと考えていました。いわゆる、木賃宿や商人宿ではなくて。

確か2度目の東北タイ(イサーン)の中核都市コンケンへの旅で探し当てたのが、ここで紹介するタイ式ホテルのロツコンホテルだったのです。ロツコンホテルは、グランムアン通りとプラチャサモソン通りが交わる交差点の角地にありました。

ホテルの内部には落ち着いた色調の内装材を控え目に使用、屋根も含め全体がシックな味わいです。2階に上がった角部屋は客室係りの控え室になっていて、そこでは働く女性たちがカーペットにじかに横座りになり休憩しているなど、いかにもタイ風です。

タイ国軍の上級官僚が頻繁に利用するとかで、その日も軍服姿の客を散見することができました。




ロツコンホテル周辺は、のんびりした地方都市のたたずまい

ロツコンホテルに最初に泊まった際、近隣の散策を楽しもうとして、市場に向かう交差点を渡り切ったときです。車の急ブレーキ音に続き、けたたましい金属音が悲鳴をあげ、音の方向を振り向きました。

車道を目の前の歩道のそばまで、オートバイ共々中年のタイ女性が滑るように飛び込んできたのです。車はそのまま走り去って行きましたが、幸い女性にも怪我がなかった模様で、ぼそぼそと呟きオートバイを起こし、走らせていきました。

このときは流石に驚かせられましたが、コンケンという街自体は静かさの残った地方の中核都市のたたずまいで、バンコクなどと異なり車も少なく、のんびりした雰囲気が性に合っている印象でした。




コンケンの程よい街の様子と出会った控え目な人々

ホテルから歩いて7~8分のところにあるのが、タラード・ラチャパサデゥという街の市場です。どこの地方都市にもあるような市場で、働いている人々は、親しみ深く田舎に帰ったような気分です。

街の中心にはショッピングセンターがあり、バンコクの現地デパートに比べても遜色ない品揃えです。当時、鉄道のコンケン駅近くの踏切そばには、大型の民芸品店があり、民族楽器のケーンを買ったものでした。

ロツコンホテルで出会ったタイ人女性は、いずれも笑顔が素敵でそれでいて控え目なはにかみ屋ばかりでした。とくに、ホテルロビーのバーで輝きを放っていたのが、ノックという名の女子学生です。いくから褐色気味の肌色の美人ですが、原石のような美しさはいまも懐かしく思い出します。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

いかさまトランプ詐欺の仲間入り強要で、一時軟禁状態に




親切なガイドを装い、街を散策中に急接近!

それはバンコク名所、バイヨークタワーからプラトゥーナムにかけて、街を散策していたときでした。左側の歩道をウィンドウショッピングしつつ、のんびりと歩いていたのです。

向かい側から歩いてきた若者が、近づき声を掛けてきました。30歳前後でしょうか、彼がタイ人なのかあるいは他の国から来た人物か、分かりません。

「午後からなら、従兄が車であなたを観光案内してもいいと言ってます。如何でしょう?」。その日、終日決まった予定がなかったこともあり、さらに好奇心旺盛ゆえ、ついそんな誘いに乗ってしまったのでした。




一軒家へ案内し、トランプ詐欺の仲間入りを強要

彼はその場で拾ったトゥクトゥクに行き先を指示し、腕をとり後部座席に案内しました。10分ほど走ったでしょうか、トゥクトゥクは大通りから静かな路地に入り、瀟洒な一軒家の門の前で停まりました。

家に案内されたのは、ちょうど昼前でした。午後にならないと従兄は戻らないとかで、昼ご飯でも食べながら帰りを待とうということになったのです。

提供された昼食のカレーを食し、ひと息ついたところで2階で休息をとるように促されました。2階の部屋の丸テーブルに腰掛けるよう勧められ、しばらくすると奥の部屋から別の人物が現われ、トランプのポーカーゲームに誘うではありませんか。

いわく、夜会員制の賭博場のいかさまトランプでひと儲けできるので、その仲間にならいかと訊ねるのです。タイへやってくる前、現地ではいかさまトランプの仲間に誘うと偽り、日本人観光客をターゲットに、カードから現金を引き出させる犯罪が横行しているとの外務省の警戒情報に触れていたこともあり、「これだな」と直感したものです。

当時、タイ訪問にはしっかりした目的もあり、「いかさまトランプの仲間に加わるために、この国に来たのではない」と強硬に誘いを断わりました。なおの誘いを遮り、午前中に出会った場所まで送り届けるように、強く訴えたのです。




教訓から学ぶ、日本人が詐欺被害などに遭わない方法

その時は幸い、相手が詐欺の玄人集団ではなかった様子で、当方の訴えを聞き入れバイヨークタワー近くまで、送り返してくれました。あとで不思議に思ったのは、なぜ彼らは私を日本人だと認識し、ターゲットにしたのかということです。

のちに街で、多分日本人と認識したうえで話しかけてきたシンガポール人の滞在者に、日本人だと分かった理由を尋ねたことがありました。理由は簡単で、その服装、装いに特徴があるのだと言います。

当時はまだカメラ付きスマホは出ていませんでしたが、カメラを首から下げ、ウエストポシェットを腰に巻いていれば、それは「私は日本人ですと主張しているようなもの」とは、彼の見解でした。

以後、タイで街を散策する際は、現地のショッピングセンターで手に入れた安物のナップサックに、カメラからガイドブック、ペットボトル、ウエストポシェットまで詰め込み、肩から下げるようにしました。

効果はてき面。それ以降はタイのどこへ行っても、初見で日本人だと分かり話しかけられることはほとんどなくなりました。よく、シンガポール人や韓国人と間違わられ、声を掛けられるようになったものです。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

ウボンの空軍基地で、冗談ながらスパイ呼ばわり!




遠く危険も伴なった東の果て、ウボンラチャタニへの道

いまでこそ毎日数便、格安国内航空便も飛ぶようになり、1時間ほどで行けるようになったウボンラチャタニですが、昔は東の果てという印象で、本当に辺境の地そのものでした。

タイ人の間でウボンと呼ばれるウボンラチャタニは、バンコクから600キロ以上離れていて、以前は普通列車を利用して片道10~12時間かけてやっと到着するといったあんばいです。

南はカンボジアと、東はメコン川を挟みラオスと国境を接しているという地理的条件もあり、また反政府運動のすえ軍や警察に追われた学生ゲリラが出没するとかで、国境沿いの幹線道路を走る路線バスに途中警察が乗り込んで検問に入るという時代もありました。




ウボンで知り合った女性の案内下、空軍基地に潜入

ウボンラチャタニは基地の街として栄えた町といって過言ではないでしょう。ベトナム戦争当時は、駐留米軍の基地として重要な役割を果たしました。ウボンラチャタニ空港は、官民共用空港として現在でもタイ空軍が駐屯しています。

そんなウボンラチャタニに初めて行ったとき、タイ空軍が使用する基地の中を見たくなりまいた。もちろん、かつて米空軍が駐留していたことは知っていましたし、好奇心がそうさせたのです。

たまたま、街で知り合った若いタイ女性にその旨を告げたところ、彼女の兄が基地で働いているとかで、便宜をはかり基地の内部を案内してくれるという話になったのです。

車の助手席に乗せてもらい基地の中を走ると、間もなく米軍のアパッチ攻撃ヘリの残骸が横たわっているのが目に入りました。事前に彼女から写真撮影は控えるように注意されていましたが、思わず身をかがめヘリの残骸にカメラを向けていました。

すると、どうでしょう。「あなた、もしかしてスパイじゃないの?」と、彼女が問いかけてきたのです。冗談とは知りつつ、必至で否定しその場から離れましたが、そのあと基地から出るまでの間、緊張から解放されることはありませんでした。




翌日は基地開放日、ゲートにはウボン市民の行列

次の日の午前、宿泊していた確か、スニーグランドホテルを出て朝食を取るために街を散策していました。チャヤンクン通りとアパリサン通りが交わる交差点までくると、アパリサン通りに面した基地ゲート付近が人ごみでごった返しているのが見えます。

何事かとゲートに近づくと、タイ人の老若男女がどんどん基地の中に入っていくではありませんか。聞くと、1月の第2土曜日のその日はタイの子供の日とかで、空軍基地が一般に開放される日だそうです。

当時はタイ語がほとんど話せなかったこともあり、もちろんそんな事情も知りませんでした。前日の緊張と冷や汗は何だったのだろうと自問しつつ、知らない土地への旅の面白さを噛みしめていたものです。

ところで、タイでのベトナム戦争の痕跡は、かつてはあちらこちらで目にすることができました。東北タイを南北に走る大動脈・国道2号線には、以前は中央分離帯がなく直線が続く道路は米軍機の滑走路としても使用できるように造られたと聞いています。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

タイ人ご用達・食堂カラオケは、大音量が周りまで筒抜け




タイ人ご愛用のカラオケと日本人行きつけのカラオケ

タイでのカラオケの普及は、タイ風すき焼き「タイスキ」の大衆化と歩を同じくしていた・・・。両者は無縁のようでもありますが、私見ではそんな印象を持っています。

バンコクでタイスキが、「コカ」など限られた高級レストランでしか味わうことができなかった当時、タイではカラオケもごく限られた人たちに親しまれていたに過ぎませんでした。

そのころのカラオケはカラオケスナックを意味し、日本人の観光客や駐在員がバンコクのタニヤ辺りで現地女性を外に連れ出す、定番の大人の社交場だったのです。

バンコクや郊外のショッピングセンターに、大衆タイスキ店の「MK」が続々オープンした時代、タイ人ご愛用のカラオケ店もタイ全土に広がったように思えます。タイ人の所得がいくらか上がった結果で、お互い関連性があったとは言えませんが。




タイの地方では、エアコンなしの食堂カラオケが定番

だいぶ前に、ノンカイでカラオケへ案内されたことがあります。タイ語でバイクやオートバイを「モーサイ」と呼びますが、モーサイの後部に乗せて、町外れのカラオケ店へ連れて行ってくれたのは、街で知り合った若いカトゥーイでした。

カトゥーイとはいわばタイ版ニューハーフで、ほかにレディーボーイとも呼ばれます。祭りや風習の影響か、地方とくに東北タイでは昔からよく見かけたものです。

最近のバンコクのカトゥーイと異なり、決して美人ではないカトゥーイが指し示したのは、一見何の変哲もない田舎の食堂でした。違いは店の奥まった場所に、カラオケのモニターが掲げてあり、道路に漏れるリズミカルな伴奏に合わせ、客の若者が気持ち良さそうに歌っていることでした。

地方というと、東北タイの東部メコン川沿いのムクダハンという街のカラオケは、畑の畔みち脇に店を構えていました。それも藁ぶき屋根で藁と板塀に囲われたカラオケ店。もちろん、エアコンなしで音は外へ筒抜けです。




バンコク、サムエープラカノンの食堂カラオケ

バンコク・スクムビット通りもソイ40番台半ば近くのBTSプラカノン駅周辺は、かつてはプロンポーン駅辺りとは異なり、場末の雰囲気でした。再開発前の映画館裏の空き地では、チンタラ―・プーラックのコンサートが開かれ、周辺の東北タイ出身者を熱くしたものです。

パランシーと呼ばれるラーマ4世通りがスクムビット通りに交わるサムエープラカノン辺りは、まさにそうした場末の風情が色濃く残る土地柄でした。彼らタイ人たちの憩いの場所が、大通りに面して店を構える食堂カラオケです。

店ではガイヤーン(鶏肉のたれ焼き)などのイサーン(東北タイ)料理が提供され、田舎の懐かしい香りが周辺に漂い、大音量のカラオケが辺り構わず響きます。聴衆はエアコンなしの普通バスやモーサイタクシーの客たちです。

そうした風景を想い起こし、ラジカセの時代から地方の農家でも都会のスラムでも、なぜタイ人は大音量で音楽を流すのか、改めて気になったものでした。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

シーチェンマイのラーメンは、木の葉たっぷり健康麺




水上10メートル、大河にせり出したシーチェンマイ食堂

東北タイのラオスへの玄関口、ノンカイからメコン川に沿って242号線を西へ約1時間、小型乗り合いバスのソーンティオに揺られて進むとシーチェンマイという小さな街に出ます。ずいぶん昔、その街を訪れましたが、当時は日本人が訪れることも稀だったようです。

そんなシーチェンマイにあって、河岸からメコン川にせり出すように、質素な食堂がありました。対岸はラオスの首都ビェンチャンの郊外に当たるようで、緑に囲まれた住宅が散在するのが遠望できます。

ノンカイからの小旅行ののちの小休止だったこともあり、食堂でタイラーメンを注文するなり、まずはトイレ拝借となりました。驚いたのは、そのトイレのスリリング極まりないことです。

店の女主人に手で示され向かったトイレは、メコン川にせり出した食堂の先端にあり、簡単な扉と板囲いに囲まれた小さな空間からは、10メートルほどの眼下に、雄大なメコン川の川面が覗ける、そんな危険な?トイレだったのです。




野趣な味のハーブと共に食するベトナム風クィッティオ

さて、スリリングなトイレから無事帰還し、テーブルに戻って間もなく提供されたタイラーメンつまりクィッティオには、皿に盛られたバーブ類が添えられていました。それまでバンコクをはじめタイ国内を旅する間に食べたクィッティオにはないスタイルだけに、興味津々。

ここではバジルやミントなどの香草類に加えてインゲン、細かく千切ったキャベツがありましたが、ほかにパクチやライムなどが盛られることもあります。さらに細かく千切ったりして、クィッティオの器に入れ、全体かき混ぜながら食するのが、ベトナム風です。

野趣な味わい豊富なハーブと共に食するベトナム風クィッティオですが、ベトナム料理全般、野菜をふんだんに使ったヘルシーな料理が多いのが特徴でしょうか。そのためかアオザイを身にまとった若い女性には、肥満のイメージがありません。




ベトナム文化が深く入り込むノンカイ周辺のタイランド

ラオスを間に挟んだ遠いベトナムの、料理をはじめ文化の影響が、なぜメコン川沿いの東北タイ、ノンカイ周辺にまで及んだのでしょう。その背景には、ベトナムをはじめとする周辺のアジアの人々を苦しめた戦争の歴史があったのです。

日本の敗戦を契機に独立の機運が高まるベトナム、ラオス、カンボジア3国の独立をめぐって始まった旧宗主国フランスへの抵抗戦争とその後勃発した対米ベトナム戦争。立て続けの戦禍は、ベトナム人をはじめとする多くの市民を難民へと追いやりました。

戦禍を逃れ、ラオスを通ってタイへ辿り着いたのでしょう。いまでも多くのベトナム人やその子孫が、ラオスを隔てたメコン川沿いの東北タイに暮らしています。ノンブアランプーへの何回目かの旅で泊まった商人宿の老いた女主人は、そうしてタイで一旗揚げた、かつてのベトナム人難民でした。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

バンコク・タワンデーンのトイレの粋な?サービス




バンコク最大のエキサイティングスポット

バンコクのペッブリー通りからパッタナカーン通りに入り、ほどなくして右手に見えるのが、ディープなタイを好むタイフリークが愛して止まないタワンデーンというお店です。極めて私的な評価ですが、バンコク最大のエキサイティングスポットは、ここをおいてほかにありません。

タワンデーンはイサーンと呼ばれる東北タイ独特の音楽が楽しめ、激辛のイサーン料理が味わえる大型レストランです。店内は広く数百人の客がゆうに座れるテーブル椅子が設置されていて、店内は店員の足元を照らすライトの明かりを借りても見えにくいほどの暗さです。

夜10時ごろから始まり深夜まで続くステージには、有名無名の歌手が代わる代わるに登場。客はイサーンでは馴染みのモーラムの歌や演奏に身体を揺らし、タイビールやラオカーオと呼ばれるタイ焼酎を浴びるように飲み、一夜を過ごします。




コン・ラーオが愛するモーラムの殿堂

このタワンデーンはバンコクにあって、コン・ラーオが愛するモーラムの殿堂といっていいでしょう。コン・ラーオとは、ラオスと民族を同じくする東北タイ出身のタイ人のことです。

東北タイ出身者の間で、一時熱狂的に支持されたのがチンタラ―・プーラックという女性歌手で、タイの美空ひばりとも呼ばれたほど。男性ポピュラー歌手ナンバーワンのトンチャイとのデュエット曲は、ある時期街で聞かれない日はないほどでした。

そんなチンタラ―が得意にしていたのが、モーラムです。モーラムにはテンポの早い一見ラテン音楽っぽいものと、メロディ重視の哀愁溢れる曲があります。

東北タイの町や村でのイベントには必ずといっていいほどこのモーラムの曲が流れ、とくにアップテンポの曲に合わせて踊るラムウォンでは、コン・ラーオは彼らのアイデンティティーを掻き立てられるのが常です。




トイレでの初体験は一種のカルチャーショック

そうした興奮が体現できるのがタワンデーンで、ステージ前に設けられたダンススペースは毎夜、身体いっぱい悦びを表現しようとするコン・ラーオたちに占められます。

冷房ギンギンの店内で軽快なモーラムを身体中で浴び、タイビールを何倍も飲み干す・・・。こうなると自然とトイレが近くなるのは、タワンデーンだけではありません。

タワンデーンを訪れ最初にトイレに行ったときは、ある種のカルチャーショックを受けたものでした。ステージ反対の薄暗く奥まったところにあるトイレに入り、小用を済ませているといきなり背後から首筋に蒸しタオルがかかるではありませんか。

その時、瞬間的に小用を休止してしまいましたが、それは1回20バーツのショートマッサージ・サービスだったのです。最初はいくらかの驚きもあり抵抗感をおぼえたものですが、その後は喜んでサービスの申し出に応えるようになったものです。

ちなみに、末尾の写真のタイ人たちはステージに立つ歌手やダンサーで、マッサージボーイではありません。誤解されないように、念のため。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

東北タイ・ノンソンブン村に暮らす古い友人たち




ノンソンブン村の人々との久方ぶりの再会

ノンソンブン村の人々との出会いは、いまタイのパタヤで生計を立てる40歳代半ばのペオが、村の中学に通っていたころでした。ざっと4半世紀以上も前の出来事です。

ノンソンブン村は当時、タイ東北部ウドンタニ県の西端に位置し、のちには分離独立したノンブアランプー県に編入されたイサーン(東北タイ)のどこにでもあるような小さな村。県都からルーイ方面へ向かう幹線道路沿いに、その村はあります。

20年以上を隔ててその村を改めて訪れたのは確か、2年ほど前のことでした。懐かしさの余りの訪問でしたが、結局1年経った2017年秋にも再度村に足を運んだものです。

冒頭の写真は、その時に幼い村人たちを撮ったものです。この村の人々との出会い、そのいきさつについての詳細は、
「食堂使用人たちの帰る村」/『ちょっと、タマダー』(三一書房刊)
に描かれています。それをご参照ください。




大きく変化したノンソンブン村の昔と今

最初にノンソンブン村に入ったときは、早朝の普通列車でバンコクを出発、コラートさらにコンケンを経て、辺りが暗くなった夜7時ごろにウドンタニに到着。そこから普通バスに乗り換え、小一時間バスに揺られてやっと村に着いたものでした。

いまではバンコクからウドンタニまで、手軽に飛行機を利用できるようになっています。村へ入る幹線道路も拡張整備され、上手く乗り継ぎができれば、バンコクから半日も経たずに村へ入れるという便利さです。

当時とは、村人の顔ぶれも大きく変わってしまいました。世話になった村長も息子もすでに鬼籍に入り、そのころからの顔見知りは村長の息子の奥さんほか数人ほど。村長の孫のダムは都会へ働きに出て、祖母が代わってダムの娘たちの面倒を見ているといったあんばいです。




変わらず、気の置けないタイの友人たち

タイ人の家を訪問するには、昔から掟があります。毎回そうしていることですが、知人の家を訪問する際は、周りの人々の腹を満たすほどの食べ物や飲み物を携えます。もし、途中で手に入らなければそれに足りる金員を最初に差し出さなければなりません。

ノンソンブン村の旧知の家では、夕暮れを待たずして宴席が始まりました。噂を耳に匂いを嗅ぎつけ、三々五々に集まった村人たちによる、車座になっての宴の開始です。東北タイ特有のカオニャオ(蒸したもち米)の香りを浴びながら、昔話しに花を咲かせ、男も女も酒を酌み交わします。

その夜は結局、ウドンタニのホテルには戻らずに、ノンソンブン村の村外れの商人宿に部屋を取ってもらい、一晩過ごすことにしました。翌朝の早朝、昨晩の宴席で一緒だった農夫が酒臭い息のまま、野良仕事へ誘いにくるではありませんか。

前夜の宴席で、野良仕事を手伝うといった軽口を真に受けたようでした。久し振りの再会でしたが、昔と変わらぬ、気の置けないノンソンブン村の友人たちではありました。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.

タイ・バンコクの防寒着レンタルショップ




常夏の国タイには、冬がない!

日本から飛行機でおよそ6時間、タイの玄関口として、昔はドンムアン国際空港、いまは大半の便がスワンナプーム国際空港に到着します。

とくに、ドンムアン空港がバンコク唯一の国際空港だった時代は、タラップからバスに乗り、空港ビルに入ることが多く、飛行機から降り立つと東南アジアの南国独特の熱気と匂いに包まれたものでした。

タイのバンコクは極端に言えば、一年中Tシャツとジーンズで過ごせるほどの陽気で、冬期に当たる12月~2月の早朝でも気温が20度を下回ることはほとんどありません。




雪景色は訪日タイ人のロマンであり憧れ

タイ経済の好調が続き、さらにはビザなしで日本へ観光旅行できるようになって、日本を訪れるタイ人はこの間、明らかに増加傾向にあります。

とくに、Tシャツのような薄着で通年暮らせるタイ人の間では、タイ北部の山地でも巡り合うことのほとんどない、降雪や雪景色を体験することは、ひとつのロマンであり憧れでもあるのです。

実際、2年ほど前の冬に、観光旅行で日本を訪れた知り合いのタイ人ファミリーは、関西国際空港から日本へ入るなり、その足で飛騨高山から白川郷を回り、ロマンチックかつ伝統的な日本の雪景色を堪能していました。

常夏のタイに暮らすタイ人と防寒着

近年、知り合いのタイ人ファミリーばかりでなく、多くのタイ人旅行者が日本を訪れ、日本の冬景色を楽しんだり、長野や新潟、北海道でウィンタースポーツに興じるという話はよく耳にします。

私は最近よく、スワンナプーム国際空港とBTSパヤタイ駅を結ぶエアポートリンクの中間駅ラームカムヘン駅そばのホテルを利用することが多いのですが、駅に向かうコンコースでハタと目にし、撮影したのが冒頭のウィンドウ写真です。

まさに防寒着、冬用コートのレンタルショップで、タイ人の知り合いのファミリーをはじめとするタイ人旅行者が、日本の厳寒の冬にどのように備えていたか、納得させられたように思いました。

もちろん、すべての冬場の訪日タイ人が、一週間単位などで借りられるこうしたレンタルコートショップを利用しているわけではないでしょうが、ここにひとつ商売人の逞しさを見たような気がしたものです。

All rights reserved by pan*asia-net & panasia D.C.