チェンライのランドマーク、ライトアップされた大時計台




観光客に人気のナイトバザールは、タイ山岳民族の見本市

タイの北部、チェンライは北部の中心都市チェンマイと比較すると、車も人も少なく落ち着いた街といえるでしょう。それでも立派な国際空港を有し、バンコクなどからのアクセスは良好です、

チェンライの観光名所というと、バントバザールが挙げられます。バンコクやチェンマイのそれに比べて、規模は大きくありませんが、タイ北部の山岳民族に容易に出会えるのが特徴かも知れません。

チェンライはかつて麻薬の取引などがあり足を踏み入れるのを恐れられていたゴールデントライアングルに地理的に近く、いまでは山から降りた山岳民族が一般のタイ人に混じって暮らしています。

ナイトバザールの露店では民芸品を売る山岳民族も多く、通りではアカ、リス、ラフなどの民族衣装をまとった山岳民族に接することができます。それはまるで、山岳民族の見本市といって過言ではありません。




色鮮やかな証明に照らされる大時計台が見事!

チェンライで、外国人観光客が一度は足を運ぶ場所は、通称タイ人に「ナリカヤイ」と呼ばれる大時計台でしょう。「ナリカ」はタイ語で時計、「ヤイ」は大きい、を意味します。

大時計は、パホンヨーテン通りとジェトヨット通りが交わる交差点のロータリーに立っています。チェンライの中心に位置することもあり、チェンライのランドマークとされています。以前はひっそりと控え目に立っていましたが、いまでは夜間にライトアップされ遠方からも目立つようになりました。

照明に浮かぶ大時計は、外観の色が刻々と変化します。黄金色、赤、濃いブルーなどに彩りが変わる大時計を見ていると、しばし時間の過ぎるのを忘れてしまうほど。ロータリーで店を開くコーヒーショップ、ガラス窓に面したカウンターからコーヒーをすすりながら眺める大時計は、チェンライの最高の思い出になるにちがいありません。




大時計台のそば、チェンライお気に入りの格安ホテル

チェンライを訪れるとたいてい泊まるのが、スクニランホテルです。大時計台から徒歩3分ほどの場所にあり、ナイトバザールにも近く街の賑やかなところをぶらつくには最適なホテルでしょう。

バスタブなしのシャワーのみの部屋で、かつては300バーツ台、いまでも500バーツほどで泊まれる、いわばチェンライの格安ホテルのひとつです。

大時計から近く便利なのは前述の通りですが、そばに特徴的なクィティオ(タイラーメン)専門店や地元民に人気の大衆食屋があるのは、うれしい限りです。

空港へ向かう国道1号線沿い、コック川にかかる橋のたもとにある食堂で食べた豚の血でスープをとった真っ赤なラーメンの味が忘れられないのですが、そのクィティオ専門店では豚の血を固めた具入りの麺を食することができます。

また、通りを隔てた向かい側の大衆食堂ペチャブリ・タイレストランにも、何度も通ったものです。店頭に10種類を超える総菜がトレイに用意され、好きなおかずを選びます。タイビールのビアチャーンを飲みながら、お気に入りのおかずで空腹を満たす・・・。チェンライでの至極の時が、流れます。

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タイ・バンコクの台所、クロントーイ市場の活況




交通の要衝に広がるバンコク庶民の胃袋

タイ・バンコクのチャオプラヤー川近く、ラーマ4世通りとアソーク通りから続くラチャダビセック通りが交わる交差点の南の一角に、バンコク庶民に親しまれるクロントーイ市場はあります。

最寄り駅は、地下鉄(MRT)クロントーイ駅かクイーン・シリキット・ナショナルコンベンションセンター駅。徒歩5分ほどで、チャオプラヤー川沿いのクロントーイ港が管理する市場に到着します。

600万人を超えるバンコク市にあって最大の生鮮食品市場。広さは3万平米ほど、店舗数は1000軒を優に超えるといい、まさにバンコク庶民の胃袋といって過言ではないでしょう。




東京ではお目にかかれない市場の光景

クロントーイ市場に並ぶ商品は、肉類、魚介類に野菜や果物の生鮮食料品。加えて米に調理用品と、食材から道具まで料理に必要な物はなんでも揃っているところです。

日本人や西洋人などが驚かされるのは、肉屋の陳列台に豚の頭や足などがそのままの姿で鎮座していること。また店先の竹籠の中で、身売り先が現われるのを待つ鶏たちの様子が見られることは、クロントーイ市場ばかりでなくタイや東南アジアの市場の普通の風景です。

カエルや蛇、トカゲが生きたまま売られているのを目にすると、野生動物保護に関心のある人や「グロテスクな姿」の爬虫類が嫌いな人は、眉をしかめ目を背けるにちがいありません。




プラニンからナマズまで、市場は川魚の宝庫

市場はクロントーイ港に近いという場所柄、川魚が豊富。プラニンからナマズまで、日本ではあまり食卓に上がらない魚類が所狭しと並んでいます。

実はプラニンは日本と深く関わりのある魚で、プラニンの「ニン」は平成天皇が明仁親王と呼ばれていた皇太子時代の功績に因んで名づけられたもの。プラはタイ語で魚、「ニン」は明仁親王の「仁」を音読みしたものです。

食糧事情に恵まれていなかった1960年代当時、タイを訪問された皇太子殿下がティラピアつまりプラニンの養殖を勧めたことから命名されました。

ちなみに、貝類では日本では馴染みのないホイケーンも健在。ホイケーンは血に似た汁が珍味な貝で、バンコクではタイ人相手の大衆食堂で味わうことができます。

クロントーイ市場は、かつては治安の心配された大規模スラムに近く、外国の観光客が立ち入ることはほとんどありませんでした。ボランティア団体の活動が実りスラムも大きく改善し、いまではむしろ市場でのトゥクトゥクの暴走のほうが危険かも知れません。

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東北タイ農村の村の高床式住居滞在でよみがえった郷愁




高床の床の隙間から覗く土間では、鶏が餌をついばむ

だいぶ前のことです。タイ東北線列車の普通車車中で、帰郷する初対面の家族にしつこく頼み込み、村の家族の住まいに泊めてもらいました。田舎の生活を体験したかったのです。

泊めてもらったのは、質素な高床式住居。その日は夜も遅く早々に休ませてもらい、翌朝、時を告げる鶏の鳴き声に目を覚ましました。その鳴き声が順に引き継がれ、村を一周して戻ってくるではありませんか。初めての体験で、しばらく聞き入っていたものです。

高床には、あちこちに指先が入るほどの隙間があります。床下の土間には、餌を探して歩き回る鶏が数羽。食事の食べ残しは、ゴミ箱代わりにその隙間から投げ込まれ、鶏が先を争いついばんでいました。




立派な高床式住居では、村人と共に車座になって饗宴

村での滞在2日目は、目と鼻の先にある奥さんの実家に移動するよう促されました。奥さんの嫁ぎ先の高床式住居があまりに粗末で、恐縮したのでしょう。

移動先の実家の高床式住居は、床も高く村でも立派なたたずまい。夕食の時間になると、村中の老若男女が四方から集い、飲めや歌えの饗宴が催されました。

村を訪れた初めての日本人とかで、村人は興味津々。タイまでの旅費はいくらかかるのか、日本で仕事ができないかなど、質問攻めです。ある若者は自慢げに、「北国の春」の一節を披露し聞かせてくれました。

夜遅くまで東北タイ特有のモーラムの音楽が響き、ラムウォンと呼ばれる独特の踊りが続きます。ちなみに事前に、滞在中の酒と食材の買い出し費用として、周辺のホテルの2泊相当分を家人に差し出しておいたものです。




宴のあとに、水牛をさばいた生肉料理が出される

宴会もクライマックスを過ぎ、夜も更けて村人たちは三々五々、家路につきます。宴会も終え、家人が用意した毛布に包まれ、風通しのいい高床で横になりました。

どれほどの時間が過ぎたのでしょう。気持ちのいい眠りに入ったところで、村の男たちの声に起こされました。彼らが持ってきた皿には、さばいたばかりの水牛の生肉料理が盛られています。

初めて見る料理で、指先でつまむと血の滴るような生肉が激辛に味つけられていました。ラープヌアという東北タイ料理ですが、さすがに寝起きだったこともあり、それほど食は進みませんでした。

この村での滞在経験は、早朝、村を一巡する鶏の鳴き声といい、車座になって飲めや歌えの宴会といい、なにか郷愁を誘う懐かしい思いをさせてもらったものです。

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バンコク郊外で、巨大象に出会えるミュージアム




チャオプラヤー河口、パックナームの観光スポット

パックナームは、タイ語で河口を意味します。バンコク都の南隣、チャオプラヤー川に沿ったサムットプラカーン県のパックナームというと、昔はトヨタなどタイに進出する外資工場があるくらいで、目立った建物もありませんでした。

かつては、スクムヴィット通りから運賃3バーツのノンエアコン25番赤バスに乗って、パックナームまで出かけて行ったものです。とくに、目的があるわけではなく、雑踏から逃れ一日のんびり過ごすためでした。

そんなパックナーム近くに巨大象に出会えるミュージアムがあると知って、2年前(2017年)にエラワンミュージアムに出かけてみました。
当時の最寄り駅は、BTSスクムヴィット線終点のサムローン駅です。

パックナーム一帯がスワンナプーム新国際空港に近くその利便性が期待されているのでしょう。BTSスクムヴィット線は将来、パックナーム駅からさらに南進しケーハ駅までの延伸計画があるようです。




エラワンミュージアムでは、天に届くような巨象が歓迎

サムローン駅からタクシーに乗り、しばくらく進と前方に巨大な象が姿を現わします。巨象の像の下に広がるのが、タイ人ばかりでなく最近は外国人観光客にも人気のエラワンミュージアムです。

園内に入ると何よりも、天に向かい雄叫びをあげるようにしてそびえ立つ巨大な象の姿に圧倒されます。3つの頭をもつ象の重量は250トンで高さは29メートル、台座になっているホールの建物も含めると高さは45メートル近くになるといいます。

ドームの中のホールでは、仏教やヒンドゥー教さらにはキリスト教の様式美を併せ持つ装飾に、誰もが目を奪われるにちがいありません。
創立者が所蔵する仏像や骨董品などの古美術コレクションの数々も、見応え十分。たくさんの象が空間を埋める庭園も、異空間の味わいを醸し出しています。




「エラワン」とは、タイ人に身近な心の拠り所

一般的に、タイ語で象をチャーンと言いますが、エラワンミュージアムにある「エラワン」も象を意味します。タイでは家を建てるに際し、庭先に祠をつくります。エラワンと呼び、これをパワースポットと見なします。

バンコクのスクムビィット通りとラーチャダムリ通りが交わる角地には、タイ人に親しまれているエラワン廟があります。通りがかりの人から大通りを走るバスの車中のタイ人まで、手を合わせるパワースポット。財力に恵まれると信じられています。

2016年にそのエラワン廟で、悲劇的な事件が起こりました。外国のテロリストが廟内で爆弾を仕掛け、タイ人をはじめ海外からの旅行者に多大な被害を及ぼした事件は、まだ記憶に新しいところです。

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タイ旅行で実際に出会った「スカー」という名のトイレ




タイのトイレは、「ホンナーム」だけではない

タイを旅行するに当たり、最初に覚えたいタイ語は?と尋ねられたら、「ホンナーム」だと答えるでしょう。挨拶で用いる常套句「サワディー」も大切ですが、小用が我慢できないときなどの急場には、「ホンナーム」つまりトイレというタイ語を知っているか否かは切実な問題です。

街の中やショッピングセンターなどで、タイ人に「ホンナーム、ユーティナイ?」と聞くと、親切なタイ人は指をさして、トイレの場所を示してくれます。それが、「スカー」というトイレの言い換え表現を知ってからは、トイレを探すのが楽しくなったものです

バンコク・ドンムアン空港近くの街の食堂で、食後にトイレに行こうと、店で下働きをする女の子に「スカー、ユーティナイ?」と尋ねてみました。すると、女の子は仲間の娘と顔を見合わせ、かわいい笑顔でケタケタと笑うのです。それがかわいくて、面白くて・・・。




タイの田舎のトイレは、家の中にないことも

タイの市場やバスターミナルなどの公共トイレは、ほとんどが有料です。有料といっても一時JRのトイレで高いと不評だったのとは異なり、2バーツか3バーツとわずかばかりの料金で、不平不満を言うタイ人はいません。

バンコクなどの都会はともかく、地方の田舎ではいまでも、家の中にトイレがないこともしばしば。家の庭先などに造られています。昔は日本の農村などでも、トイレが戸外にあることが珍しくありませんでしたから、不思議ではないでしょう。

タイ語でトイレが「ホンナーム」と呼ばれることは前述の通りですが、タイのトイレは水浴び場を兼ねているのが一般的です。「ホン」が部屋「ナーム」は水を意味し、文字通り水場を表わしています。




トイレを済ませれば、スカーとして「気持ちいい!」?

遠い昔の話か、あるいは王族での間の言葉遊びか・・・。タイでトイレを「スカー」と呼び換えていたとかを知ってからは、トイレを利用する際は注意してその表記を気にするようにしたものです。

いわく、「スカー」とは「気持ちいい!」「スッキリ!」との意味合いとか。食堂で女の子がケタケタと笑ったのも頷けますし、なかなかウィット溢れる言い回しです。

確か2年ほど前、北タイの街での出来事でした。トイレを利用しようとすると入り口に冒頭の写真のような表記が目に入りました。タイ語でまさに「スカー」と記されているのを見つけ、思わず写真に収めたものです。今日のタイでは、お目にかかるのは珍しいにちがいありません。

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スクンビットソイ71界隈のコン・イサーン的快楽法




コン・イサーン&タイフリーク・日本人愛用のCDショップ

スクムビット・ソイ71、ソイといっても片側2車線でバスも頻繁に走るバンコクの主要道路のひとつ。この界隈は、イサーンいわゆる東北タイを中心に地方出身者が多く暮らす、バンコクの下町といった風情の街です。

スクムビット通りからソイ71に入ってすぐ、右手の路地を抜けた奥にあるのが、近隣の庶民の台所プラカノン市場です。クロントーイ市場などに比べると小規模ですが、生鮮食料品から衣類や雑貨まで何でも揃います。

そんなプラカノン市場の一角に、コン・イサーン(東北タイ出身者)やタイフリークの日本人ご愛用のCDショップがあります。とくに、コン・イサーンが愛するモーラムやタイの歌謡曲ルークトゥンなどのCDの品揃えが豊富です。

モーラムなどのCDは、大型ショッピングセンターのCDショップではほとんど扱っていません。そのため、チンタラ―・プーラックやドークラック・デゥアンマーラーの新譜を探しに、よく通ったものでした。




ソイ71で出会った初めての(?)本格的コーヒーショップ

しばらく前までは、タイ人の間ではブラックコーヒーを味わう習慣があまりなく、バンコク中心街のショッピングセンター内のコーヒーショップなどで、ブラックコーヒーを楽しめる程度。一般家庭ではインスタントコーヒーを備えていればいいほうで、コーヒー自体好んで飲む習慣がありませんでした。

ソイ71で本格的なコーヒーが味わえる店は、多分ここではないでしょうか。コーヒーショップの名前は、「71 Coffee & More」。ソイ71通りをラームカムヘン方面へ散策に出かけた帰りなど、汗をしずめしばしの休息をとりたいときなど、よく立ち寄ってブラックコーヒーを味わったものです。




クロンタンの掘っ建て小屋風イサーン料理レストラン

2000年を超えてしばらくしたころ、バンコクで歌手が唄うモーラムを聞きたくなったとき、よく通ったのがタワンデーンかイサーンラムシン2です。

タワンデーンはいまではタイの主要地方都市の多くに進出する全国チェーンレストランで、モーラムとイサーン料理が楽しめることで有名です。いっぽう、イサーンラムシン2はソイ71の突き当りのクロンタンという地区にある(あった)小ぶりのレストランです。

店は掘っ建て小屋風で、普通の日本人なら入るのに多少勇気がいるといった雰囲気でした。ステージでモーラムを唄う歌手もどちらかというと素人っぽく、かえって親しみが持てたのかも知れません。

しばらく間をおいてその店を訪れたとき、隣で火事があり店の一部に延焼したあとが残っていました。店の壁も一部が壊れていて、まだ焦げ臭いにおいも漂っています。

そんな店ですが、客もそれほど気にする風でもなく、モーラムを楽しんでいます。これがタイなのでしょう。粗野でマイペンライなところが、日本では味わえない空気なのです。

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コンケンのタイ式ホテル、ロツコンホテルと近隣の楽しみ




ロツコンホテルは、バンコクでは出会えないシックなホテル

タイの地方都市を訪れた際には、バンコクのどこにでもあるような洋風ホテルではなく、一度タイ式のホテル、つまりローンレーム・バートタイに泊まりたいと考えていました。いわゆる、木賃宿や商人宿ではなくて。

確か2度目の東北タイ(イサーン)の中核都市コンケンへの旅で探し当てたのが、ここで紹介するタイ式ホテルのロツコンホテルだったのです。ロツコンホテルは、グランムアン通りとプラチャサモソン通りが交わる交差点の角地にありました。

ホテルの内部には落ち着いた色調の内装材を控え目に使用、屋根も含め全体がシックな味わいです。2階に上がった角部屋は客室係りの控え室になっていて、そこでは働く女性たちがカーペットにじかに横座りになり休憩しているなど、いかにもタイ風です。

タイ国軍の上級官僚が頻繁に利用するとかで、その日も軍服姿の客を散見することができました。




ロツコンホテル周辺は、のんびりした地方都市のたたずまい

ロツコンホテルに最初に泊まった際、近隣の散策を楽しもうとして、市場に向かう交差点を渡り切ったときです。車の急ブレーキ音に続き、けたたましい金属音が悲鳴をあげ、音の方向を振り向きました。

車道を目の前の歩道のそばまで、オートバイ共々中年のタイ女性が滑るように飛び込んできたのです。車はそのまま走り去って行きましたが、幸い女性にも怪我がなかった模様で、ぼそぼそと呟きオートバイを起こし、走らせていきました。

このときは流石に驚かせられましたが、コンケンという街自体は静かさの残った地方の中核都市のたたずまいで、バンコクなどと異なり車も少なく、のんびりした雰囲気が性に合っている印象でした。




コンケンの程よい街の様子と出会った控え目な人々

ホテルから歩いて7~8分のところにあるのが、タラード・ラチャパサデゥという街の市場です。どこの地方都市にもあるような市場で、働いている人々は、親しみ深く田舎に帰ったような気分です。

街の中心にはショッピングセンターがあり、バンコクの現地デパートに比べても遜色ない品揃えです。当時、鉄道のコンケン駅近くの踏切そばには、大型の民芸品店があり、民族楽器のケーンを買ったものでした。

ロツコンホテルで出会ったタイ人女性は、いずれも笑顔が素敵でそれでいて控え目なはにかみ屋ばかりでした。とくに、ホテルロビーのバーで輝きを放っていたのが、ノックという名の女子学生です。いくから褐色気味の肌色の美人ですが、原石のような美しさはいまも懐かしく思い出します。

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いかさまトランプ詐欺の仲間入り強要で、一時軟禁状態に




親切なガイドを装い、街を散策中に急接近!

それはバンコク名所、バイヨークタワーからプラトゥーナムにかけて、街を散策していたときでした。左側の歩道をウィンドウショッピングしつつ、のんびりと歩いていたのです。

向かい側から歩いてきた若者が、近づき声を掛けてきました。30歳前後でしょうか、彼がタイ人なのかあるいは他の国から来た人物か、分かりません。

「午後からなら、従兄が車であなたを観光案内してもいいと言ってます。如何でしょう?」。その日、終日決まった予定がなかったこともあり、さらに好奇心旺盛ゆえ、ついそんな誘いに乗ってしまったのでした。




一軒家へ案内し、トランプ詐欺の仲間入りを強要

彼はその場で拾ったトゥクトゥクに行き先を指示し、腕をとり後部座席に案内しました。10分ほど走ったでしょうか、トゥクトゥクは大通りから静かな路地に入り、瀟洒な一軒家の門の前で停まりました。

家に案内されたのは、ちょうど昼前でした。午後にならないと従兄は戻らないとかで、昼ご飯でも食べながら帰りを待とうということになったのです。

提供された昼食のカレーを食し、ひと息ついたところで2階で休息をとるように促されました。2階の部屋の丸テーブルに腰掛けるよう勧められ、しばらくすると奥の部屋から別の人物が現われ、トランプのポーカーゲームに誘うではありませんか。

いわく、夜会員制の賭博場のいかさまトランプでひと儲けできるので、その仲間にならいかと訊ねるのです。タイへやってくる前、現地ではいかさまトランプの仲間に誘うと偽り、日本人観光客をターゲットに、カードから現金を引き出させる犯罪が横行しているとの外務省の警戒情報に触れていたこともあり、「これだな」と直感したものです。

当時、タイ訪問にはしっかりした目的もあり、「いかさまトランプの仲間に加わるために、この国に来たのではない」と強硬に誘いを断わりました。なおの誘いを遮り、午前中に出会った場所まで送り届けるように、強く訴えたのです。




教訓から学ぶ、日本人が詐欺被害などに遭わない方法

その時は幸い、相手が詐欺の玄人集団ではなかった様子で、当方の訴えを聞き入れバイヨークタワー近くまで、送り返してくれました。あとで不思議に思ったのは、なぜ彼らは私を日本人だと認識し、ターゲットにしたのかということです。

のちに街で、多分日本人と認識したうえで話しかけてきたシンガポール人の滞在者に、日本人だと分かった理由を尋ねたことがありました。理由は簡単で、その服装、装いに特徴があるのだと言います。

当時はまだカメラ付きスマホは出ていませんでしたが、カメラを首から下げ、ウエストポシェットを腰に巻いていれば、それは「私は日本人ですと主張しているようなもの」とは、彼の見解でした。

以後、タイで街を散策する際は、現地のショッピングセンターで手に入れた安物のナップサックに、カメラからガイドブック、ペットボトル、ウエストポシェットまで詰め込み、肩から下げるようにしました。

効果はてき面。それ以降はタイのどこへ行っても、初見で日本人だと分かり話しかけられることはほとんどなくなりました。よく、シンガポール人や韓国人と間違わられ、声を掛けられるようになったものです。

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ウボンの空軍基地で、冗談ながらスパイ呼ばわり!




遠く危険も伴なった東の果て、ウボンラチャタニへの道

いまでこそ毎日数便、格安国内航空便も飛ぶようになり、1時間ほどで行けるようになったウボンラチャタニですが、昔は東の果てという印象で、本当に辺境の地そのものでした。

タイ人の間でウボンと呼ばれるウボンラチャタニは、バンコクから600キロ以上離れていて、以前は普通列車を利用して片道10~12時間かけてやっと到着するといったあんばいです。

南はカンボジアと、東はメコン川を挟みラオスと国境を接しているという地理的条件もあり、また反政府運動のすえ軍や警察に追われた学生ゲリラが出没するとかで、国境沿いの幹線道路を走る路線バスに途中警察が乗り込んで検問に入るという時代もありました。




ウボンで知り合った女性の案内下、空軍基地に潜入

ウボンラチャタニは基地の街として栄えた町といって過言ではないでしょう。ベトナム戦争当時は、駐留米軍の基地として重要な役割を果たしました。ウボンラチャタニ空港は、官民共用空港として現在でもタイ空軍が駐屯しています。

そんなウボンラチャタニに初めて行ったとき、タイ空軍が使用する基地の中を見たくなりまいた。もちろん、かつて米空軍が駐留していたことは知っていましたし、好奇心がそうさせたのです。

たまたま、街で知り合った若いタイ女性にその旨を告げたところ、彼女の兄が基地で働いているとかで、便宜をはかり基地の内部を案内してくれるという話になったのです。

車の助手席に乗せてもらい基地の中を走ると、間もなく米軍のアパッチ攻撃ヘリの残骸が横たわっているのが目に入りました。事前に彼女から写真撮影は控えるように注意されていましたが、思わず身をかがめヘリの残骸にカメラを向けていました。

すると、どうでしょう。「あなた、もしかしてスパイじゃないの?」と、彼女が問いかけてきたのです。冗談とは知りつつ、必至で否定しその場から離れましたが、そのあと基地から出るまでの間、緊張から解放されることはありませんでした。




翌日は基地開放日、ゲートにはウボン市民の行列

次の日の午前、宿泊していた確か、スニーグランドホテルを出て朝食を取るために街を散策していました。チャヤンクン通りとアパリサン通りが交わる交差点までくると、アパリサン通りに面した基地ゲート付近が人ごみでごった返しているのが見えます。

何事かとゲートに近づくと、タイ人の老若男女がどんどん基地の中に入っていくではありませんか。聞くと、1月の第2土曜日のその日はタイの子供の日とかで、空軍基地が一般に開放される日だそうです。

当時はタイ語がほとんど話せなかったこともあり、もちろんそんな事情も知りませんでした。前日の緊張と冷や汗は何だったのだろうと自問しつつ、知らない土地への旅の面白さを噛みしめていたものです。

ところで、タイでのベトナム戦争の痕跡は、かつてはあちらこちらで目にすることができました。東北タイを南北に走る大動脈・国道2号線には、以前は中央分離帯がなく直線が続く道路は米軍機の滑走路としても使用できるように造られたと聞いています。

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タイ人ご用達・食堂カラオケは、大音量が周りまで筒抜け




タイ人ご愛用のカラオケと日本人行きつけのカラオケ

タイでのカラオケの普及は、タイ風すき焼き「タイスキ」の大衆化と歩を同じくしていた・・・。両者は無縁のようでもありますが、私見ではそんな印象を持っています。

バンコクでタイスキが、「コカ」など限られた高級レストランでしか味わうことができなかった当時、タイではカラオケもごく限られた人たちに親しまれていたに過ぎませんでした。

そのころのカラオケはカラオケスナックを意味し、日本人の観光客や駐在員がバンコクのタニヤ辺りで現地女性を外に連れ出す、定番の大人の社交場だったのです。

バンコクや郊外のショッピングセンターに、大衆タイスキ店の「MK」が続々オープンした時代、タイ人ご愛用のカラオケ店もタイ全土に広がったように思えます。タイ人の所得がいくらか上がった結果で、お互い関連性があったとは言えませんが。




タイの地方では、エアコンなしの食堂カラオケが定番

だいぶ前に、ノンカイでカラオケへ案内されたことがあります。タイ語でバイクやオートバイを「モーサイ」と呼びますが、モーサイの後部に乗せて、町外れのカラオケ店へ連れて行ってくれたのは、街で知り合った若いカトゥーイでした。

カトゥーイとはいわばタイ版ニューハーフで、ほかにレディーボーイとも呼ばれます。祭りや風習の影響か、地方とくに東北タイでは昔からよく見かけたものです。

最近のバンコクのカトゥーイと異なり、決して美人ではないカトゥーイが指し示したのは、一見何の変哲もない田舎の食堂でした。違いは店の奥まった場所に、カラオケのモニターが掲げてあり、道路に漏れるリズミカルな伴奏に合わせ、客の若者が気持ち良さそうに歌っていることでした。

地方というと、東北タイの東部メコン川沿いのムクダハンという街のカラオケは、畑の畔みち脇に店を構えていました。それも藁ぶき屋根で藁と板塀に囲われたカラオケ店。もちろん、エアコンなしで音は外へ筒抜けです。




バンコク、サムエープラカノンの食堂カラオケ

バンコク・スクムビット通りもソイ40番台半ば近くのBTSプラカノン駅周辺は、かつてはプロンポーン駅辺りとは異なり、場末の雰囲気でした。再開発前の映画館裏の空き地では、チンタラ―・プーラックのコンサートが開かれ、周辺の東北タイ出身者を熱くしたものです。

パランシーと呼ばれるラーマ4世通りがスクムビット通りに交わるサムエープラカノン辺りは、まさにそうした場末の風情が色濃く残る土地柄でした。彼らタイ人たちの憩いの場所が、大通りに面して店を構える食堂カラオケです。

店ではガイヤーン(鶏肉のたれ焼き)などのイサーン(東北タイ)料理が提供され、田舎の懐かしい香りが周辺に漂い、大音量のカラオケが辺り構わず響きます。聴衆はエアコンなしの普通バスやモーサイタクシーの客たちです。

そうした風景を想い起こし、ラジカセの時代から地方の農家でも都会のスラムでも、なぜタイ人は大音量で音楽を流すのか、改めて気になったものでした。

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